リバティ長岡前
目次へ
トップページでも書いていますが、わたしたち住民は単に葬儀場ができるから、小学校の近くだから、病院が近いからといった理由だけで反対しているのではありません。


一言で言えば、セレマという会社が信用できない会社だからです。


商店街の皆さんが周囲に信用できない会社の葬儀場ができて、イメージがわるくなり、客足が遠のいて売上げがさらに下がったらどうしようかと、困ってるのです。最悪の場合、廃業もあります。近くのスーパーや商店街がなくなったら困る人も多く出ます。

トップページは元々1ページの構成で書いていたので長いですが、このことを再三説明しているにもかかわらず、一方的な非難と中傷があります。

自分達は面倒なことはしたくない、中立であるなどもっともらしい事だけ言い、評論家的にあれこれ言って、他人に丸投げする人達を見ると、伝わっていないのは残念です。

私に言わせればこれらの行動は失礼を承知で言わせていただければセレマ側の工作にまんまとはまっているばかりか、


「卑怯」


の二文字が思い浮かびます。

セレマは本当に常識ある会社なのか?



常識ある会社なら、十分に調査したうえ、近隣住民に説明して、不安があれば、誠意を持ってそれを取り除くなど合意を重ねようとしていきます。

普通の常識ある会社ならそうするのが普通では?
その通りです。
わたしもあなたと同じようにそう考えていました。

しかし、セレマはそうした常識的な事をやろうとしていません。
近隣住民がセレマに要望して、渋々開催された説明会の第一回、第二回議事録を読むと気づきますが、当初は近隣住民の方が協調、合意点を見いだそうと穏便に話を打ち出しています。

私は平成26年3月の第三回説明会から参加させてもらっていますが、説明会では終始曖昧な説明ばかりで、誠意が全く感じられませんでした。
私だけではなく、多くの方が同じ事を指摘しています。
「あの人達がうちの息子なら容赦なくひっぱたく」と言われた奥様もいらっしゃいました。

わたしも説明会に参加して、セレマという会社が常識の通じない会社だと初めて知りました。
説明会も近隣住民にはできるだけ知らせたくない、第三者機関による交通調査も指摘されるまで行わず、調査結果も単に通った車の台数の記載だけで、葬儀場として適しているかの結論も書かれていませんでした。

セレマ側は葬儀の参列者の駐車場を70台必要なところを16台しか確保しておらず、確信犯的に近隣のスーパーの駐車場に止めてもらうことを当て込んでいました。

セレマは互助会や葬儀費用を巡るトラブルが多い事で有名ですが、都合の悪い話にはわけのわからない答えで返し、住民の不安を払拭するどころか、自分達が正しいと発言を繰り返す。

議事録も間違いだらけで、私がチェック、修正した発言箇所も配布されたものは間違ったままだったりします。
こういう会社は間違いなく事故を起こしたり、もめたりします。

セレマは「まちづくり条例がー」とまちづくり条例に責任を転嫁する一方で、まちづくり条例を読んでいなかったりと、つじつまの会わないその場しのぎの曖昧な話や不備を重ねていった結果、信用を失ったのが実情です。

セレマ側がこれらを意図的に行っているとしたら、不毛な話し合いだと思わせることでわたし達住民の説明会への参加を減らしたいのでしょう。

セレマの誠意無き言動の積み重ねの結果、近隣住民は責任ある回答を期待したり、話合いで落としどころを見いだす段階ではなくなったのです。

商店街や近隣のお店からみれば、イメージダウンから客足が遠のけば売上げ減少にもなりかねず、死活問題につながるのは当然のことです。あなたの給料の額が半分以下に下がることを想像していただければわかると思います。

信用できない会社の葬儀場に反対していると名言しているにも関わらず、自分の目で見て、確認もせず、ただネット上の話やプロ市民運動家が入り込んだ反対運動のイメージを重ねて、近隣住民たちがセレマに言いがかりをつけているときめつけてくる人達の話は本当に残念です。

とくに近隣の人達が言いがかりをつけていると決めつけたり、わたしは中立で、様子を見る、などといっている人達もいます。
そうしたみなさんに一言申し上げたいことがあります。

あなたは無意識に「あって当たり前」と思っていませんか



「自分はお世話になっていないから無関係」というのは長岡京市の住民であれば、おかしな話です。
長岡京市に住んでいて、通勤や買い物などで阪急長岡天神駅を利用している人なら、誰しもが何らかの形で商店街のお世話になっています。

例えば、わたしたちが夜も安全にアゼリア通りを歩けるのも明るい街灯あってのおかげです。

長岡天神駅前のアゼリア通りの街灯の維持費用は年間90万円以上になりますが、全て商店街の皆さんが負担してくれています。2008年のリーマンショック後の不況で売上げが下がった後も、みんなが困るからと黙って負担してくれました。

リバティ長岡は閉店した後も店内の灯りを長くつけて、路面が照らされるようにしています。そのおかげで女性たちが夜の帰宅を安心して歩けることを知っていましたか?

文京堂の中小路貴司社長たちが取り組んで来られた街灯のLED化の取り組みなど、わたしたちに奉仕してくれたことを知ると、わたしたち住民が安心して歩けるのは当たり前のものではないことが痛いほどわかります。

葬儀場の建設予定地にある商店街や近隣のお店のみなさんは昭和40年代、お店によってはもっと昔から長岡京市の良好な住環境の構成に貢献してこられました。リバティ長岡の池上社長やヤサカ石油の金子社長もそうです。

ル・ノーブルの辻社長は現在、本社のある建物を「セレマが買おうとしているから買ってくれないか」と頼まれ、アゼリア商店街にまちづくりを考える視点から購入して本社を移転してくれています。

わたし達住民がこうした事を知ろうとせず、傍観して、今、何もしなければ、恩人達に尻を向けることになってしまいます。
信用できない会社の葬儀場が建ち、客足が遠のいた結果スーパーや商店街が無くなり、長岡天神駅前が寂れて、街灯も消えて暗い夜道になり、帰り道でお葬式を毎日見ることになっても、文句を言えないことになります。

これを書いている私は一住民ですが、商店街の有志の案内で問題を知りました。説明会に出て、商店街の方々から直接話を聞き、問題のなりゆきを知り、セレマ側の話は筋が通らないと商店街や商店の皆さんを応援させてもらい、このホームページも自腹で立ち上げています。

知っていて自分には関係ないから、面倒なことには関わりたくないと、黙って傍観しているのは誠実とはいえないし、目に見えない、


「卑怯」


の二文字を自分で額に押すようなものだと思うのです。
わたしは本当にそのことに気づいて欲しいと願わずにいられません。

関連記事
もしリバティ長岡がなくなったら?

(文責 前川修寛)